2001年宇宙の旅を見た(2023/1/11の日記)

みのミュージックでシャイニングの解説を見たことがきっかけで『2001年宇宙の旅』の解説を見たら急に観たくなってきたのでキューブリックの『2001年宇宙の旅』を視聴した。

実は2回目か3回目かの視聴なのだけど正直な話、前回はそんなに意味が分かっていなかった。なのでなんだか退屈な映画だという印象があったのである。

しかし今回見てみると意外なことに楽しめた。先に考察を見たことによってこういう部分を重点的に見ればよいということがわかったからだろうか。退屈なシーンも「どういう意味のシーンなのだろう?」と考えながら見るとそれなりに見れる感じがする。

この作品によくある意味深な退屈シーンの例を挙げると序盤のシーンだろう。序盤から真っ暗闇の中で不気味な音声が流れるというところから始まる。このシーンからして相当意味深である。

冒頭のシーンの意味を考えるといろいろ想像できる。あっているかはわからないけどこの作品って全体として文明や世界の歴史・進歩みたいなものを描いているようにも思えた。なので冒頭のシーンは世界の歴史が始まる前の冷たい宇宙的な意味合いで無を表現していたんじゃないかと思う。もしくは神が「光あれ」と言う前の状態の可能性もある。

なんにせよこの作品って「神」という概念が描かれていることは間違いないらしい。どこかで読んだけどパンフレットか冊子か何かに科学的神の存在がどうこうみたいなことが書かれているらしい。なので最初の暗闇のシーンは世界が生まれる前の闇を表しているんじゃないかと思った。

2001年宇宙の旅』の解説を見ていて一番面白いと思ったのが、ニーチェと関係あるんじゃないかという説。そもそもテーマソングで作中でも何度か流れる『ツァラトゥストラはかく語りき』という曲からして元ネタがニーチェの本だ。

ニーチェの哲学では「ラクダ・獅子・幼子」という3段階で人間の精神の発展を捉えるという見方がある。この見方に則して考えると以下のようになるんじゃないかと思う

1:ラクダ→猿がモノリスに触れて知性を獲得するまでの段階
2:獅子→月のモノリスを発見し木星へ到達するまでの段階
3:幼子→スターチャイルドが誕生した後。

こう考えるとなかなか構造としては面白いと思う。ただこれが具体体にどういうメッセージを意図しているかは不明だ。構造としてはこうなんじゃないかな~と思うけどその解釈についてはまた考えたいと思う。とりあえず原作を読んでみようかな。